大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和40年(合わ)182号 判決 1966年6月22日

被告人 石塚彬丸 外六名

主文

被告人石塚彬丸、同渡辺利治を各懲役三年に、

被告人森茂、同寺岡広、同薄倉英行、同藤岡徹、同古屋隆雄を各懲役二年に処する。

但し本裁判確定の日から三年間いずれも右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人坂村重男、同鵜飼宏昌に支給した分を除きその余は被告人等の連帯負担とする。

理由

(東京農業大学ワンダーフオーゲル部の新人錬成方法)

学校法人東京農業大学農友会体育連合会ワンダーフオーゲル部(以下単に農大ワンダーフオーゲル部と略称する。)は、昭和三一年一〇月頃学生有志による同好会として発足し、その後、同三四年正式の部に昇格し、部則の制定、部長、監督以下の各役員を定める等して、部の組織を完成し、ワンダーフオーゲル運動をなすに至り、その目的を「自然を愛し、そこに於て成果を助長し、又体力の錬成・教養の向上・部員相互間の親睦をはかり、身体精神の健全な育成をもつて、意義ある学生生活を樹立し、かつワンダーフオーゲル運動の進展をもつて、東京農大の校風を発揚する。」とし、同大学農友会体育連合会の一部となつたが、その活動は山岳部に近いかなり高度の山岳活動をなしていたのである。

創立後日の浅い同部では他の運動部や、他大学のワンダーフオーゲル部に互して行く為には、精鋭な部員で結束し、高い行動をすることが必要であるという気持が部員間に強く、その活動が団体行動を中心とし、しかも危険をともなう山岳行動がその主流をなす為、各部員には一定水準以上の実力が要求され、部員の実力錬成には特に力を注ぐようになつた。そしてその実力錬成の一環として例年五月頃新人部員を対象とした、いわゆる「新人錬成山行」を行つてきた。同部は新人錬成山行の目的を、各新人に肉体的精神的苦痛を伴う程度の行動をなさしめ、その苦痛を乗り越えて団体山岳行動に耐え得る気力体力を涵養することにおいたが、山行中上級生が新人を指導するにあたつては、新人の疲労状態などの判断は、当該新人についた各上級生の個人的判断に任され、行進中遅れたり、休憩地に遅れて入つて来たりする者や、指示された作業をしない者は、よほどの外傷でもあつて一見してこれ以上の行動が困難と思われる場合の外は、原則として気力が不足しているものとして、叱咤激励し、ザツクを押したり、手足を引つ張つたりすることはもとより、平手、手拳、紐、木棒により直接身体を殴打し、登山靴のまま足蹴りするなどの所謂シゴキをなして肉体的苦痛感や、精神的屈辱感を与えて、行動に駆り立てており、この様な体験を経て上級生部員となつた者は自己が苦難に耐えて強い部員になれたという自信から、同部のシゴキを安易に肯定し、転じて上級生部員として新人に対しシゴキをなしており、このことがさして疑念を抱かれずに踏襲され、同部の伝統的(慣行が本来の伝統となる直前のもの)な錬成方法となつていたのである。

(被告人等の地位)

被告人石塚彬丸は昭和三四年東京農業大学農学科に入学し同三八年卒業したが、在学中はワンダーフオーゲル部の部員として、同三六年度は総務、同三七年度には副将の各役員を勤め、卒業後は同部のOB・OGで組織されている「しやくなげ会」会員となり、同三九年八月頃から会社勤務の傍ら、同部の監督に就任して、同部の指導、監督にあたつていたもの、被告人渡辺利治は同大学造園学科四年に在学中で入学以来同部の部員であり、同三九年度には装備係を勤め、同年一一月からは主将の地位にあつたもの、被告人森茂は同大学農芸化学科四年、被告人寺岡広は同大学林学科四年、被告人薄倉英行は同大学造園学科四年、被告人藤岡徹は同大学農学科三年、被告人古屋隆雄は同大学農学科四年にそれぞれ在学中であり、いずれも入学以来ワンダーフオーゲル部に加入して活動に従事し、昭和三九年一一月以来被告人森、同寺岡は副主将、被告人薄倉は総務、被告人藤岡は装備の各地位に就いていたものであり、主将、副将(二名)、総務、装備の計五名は、同部の最高議決・執行機関である運営委員会を構成していたものである。

(犯罪事実)

昭和四〇年五月一〇日、同部の運営委員会において、同年度の「新人錬成山行」の日程は後記のような、いわゆる奥秩父連山縦走コースで山中二泊、車中一泊の予定で行われることに決定したが、同日より同月一五日出発迄の間において、本件新人錬成山行に参加した被告人学生等ならびに、四年生部員瀬川定興、三年生部員戸井田政行、伊藤政昭、鹿又広亮、二年生部員大塚美登、三浦猛夫、甲佐常雄、田口公平、平島正、松岡輝宏、中島幹夫は右山行中新人に対し錬成の為と称し、伝統に従い叱咤激励する外手又は木棒などで身体を殴打し、登山靴で身体を足蹴りするなど所謂シゴキと称する暴行を加えてでも山行を完遂すべく互に意思を通じあい、被告人石塚は監督として右山行に参加し、右学生部員と共に新人に対し右シゴキを加えて錬成すべく意を通じ、ここに全員は新人に対しシゴキと称して暴行を加えることの共謀をなした。

(以下に記述する地名、休憩地その他の位置関係は、本判決末尾添付の図面のとおりであつて、ここにこれを引用する。なお、時刻については、概ね先頭の行動時刻である。)

一行は被告人等を含む四年生六名、三年生四名、二年生八名、一年生二八名、監督一名、OB一名の計四八名で、昭和四〇年五月一五日午後一一時四五分国鉄新宿駅を出発し、山梨県塩山駅を経て、翌一六日午前四時四〇分頃落合部落に到着し、同五時三〇分頃A・B二隊(新入部員和田昇はA隊、同木村弘、松本定はB隊)に別れて登山を開始し、犬切峠(一三二一メートル)で第一回の休憩(午前六時頃から同二〇分頃まで)、一之瀬高橋で第二回の休憩(午前七時一〇分頃から同八時一五分頃まで)をなし、A、B隊は合流して一隊となり、薮沢峠を経て、同日午前一一時五〇分頃第一日宿営予定地笠取小屋に到着したが、(以上の地点ならびにその間の山道は、いずれも山梨県塩山市所在)笠取小屋では宿営準備後午後一時頃から空身で付近の笠取山(一九四一メートル)に駆足で登山をなし、同二時過小屋に帰つて同日の予定を終了した。山行においては、新人は自己の個人装備と、団体装備又は上級生の個人装備(合計約二〇キロ)を背負つて一列に並び、その前後あるいは列外左右に、ザブザツク一つで身軽な上級生が付いて叱咤激励しながら行進するのであるが、第二回休憩地以後は木村をはじめ新人部員の遅れる者が出始めたので、上級生部員は例年どおり新人に対して手をかけ始めたが、この日は、和田は、むしろ元気さが目立つ位であつた。

翌一七日は午前五時四〇分頃笠取小屋を出発し、唐松尾山山腹の山道で第一回の休憩(午前六時二〇分頃から同四〇分頃まで)、将監峠、将監小屋を経て第二回休憩(午前七時五五分頃から同九時二五分頃まで)をなし、(以上の地点ならびに、その間の山道はいずれも山梨県塩山市所在)その後第三回休憩(午前一〇時一〇分頃から同五五分頃まで)、大洞山、北天のタルで、第四回休憩(午前一一時五五分頃から〇時五〇分頃まで)をなし、三ツ山展望台を経て午後二時一〇分頃当日の宿営予定地である旧雲取小屋跡三条ダルミテント場に入つた。(以上の地点とその間の山道はいずれも山梨県北都留郡丹波山村所在)その間、第二回休憩地出発後新人の歩調が鈍り始めたが、とくに、和田は前日元気を出しすぎたことや、この日の装備が加重され、前日に比し約五キロ重い二四キロ位にされたことなどが重り疲労して遅れが目立ち北天のタル出発後は度々膝をつき、尻餅をつき、或は仰向けに倒れるなどし、三条ダルミ手前数十メートルの地点からは歩行出来ず上級生に手足を抱えられて同所に運び込まれるといつた有様で、同所での薪集めなどの作業も満足にできない状態となつた。

翌一八日は午前五時四五分頃三条ダルミを出発し、雲取山(二〇一七メートル)に登つて、第一回の休憩(午前六時一五分頃から同四〇分頃まで)、奥多摩小屋、鴨沢分岐点(俗称ブナ坂)で第二回の休憩(午前七時一〇分頃から同四〇分頃まで)、をなし、七ツ石山(一七五三メートル)を経て第三回の休憩(午前八時一五分頃から同四〇分頃まで)をなしたが、その頃から隊列の間隔が極度に開き、自然に先行隊と後行隊の区別が生じ、先行隊は一七二二メートルのピーク、鷹ノ巣小屋、鷹ノ巣山(一七三六メートル)で休憩し(午前九時一五分頃から同一〇時頃まで)、六ツ石山(一四七八メートル)を経て予定どおり午後二時頃国鉄青梅線氷川駅に到着した。一方後行隊は午前九時四〇分頃第三回休憩地を出発したが、遅れる新人が多いのに加えて、新人の一人が重態となつたことから急遽予定を変更し、鷹ノ巣小屋(〇時四〇分頃出発)から奥多摩湖へ抜けるコースを採ることになり、先行隊から引返してきた数名も加わり休憩を重ねて奥部落浅間神社を経て、午後五時頃奥多摩湖畔坂本部落へ至り、同所からバスで氷川駅に着き先行隊と合流して解散した。(以上の地点とその間の山道は概ね東京都西多摩町所在)その間和田は三条ダルミ出発後間もなく遅れだし、第三回休憩地の手前では山道から崖側へ摺り落ちたこともあり、又一七二二メートルのピーク以後は全く疲労し、鷹ノ巣小屋に至る間では、数回倒れ、時には手をついて躄り歩くなどし、ズボンの尻の部分やパンツが破れ、肉体の一部が見えるような状態で、正午頃最後尾で同小屋に着き、その後は空身となり乍らも独力での歩行が十分に出来ず、時々転倒し、他の部員の「農大」というコールをきいておびえ、「先輩こわい」と口走るなど全く気力を失い、上級生に助られて午後五時頃、ようようにして奥部落三沢橋に辿り着いたが、同所からは他の新人一人と共に、上級生二名に伴われてタクシーで氷川駅に到り一行に加つた。また、木村弘は六ツ石山を抜ける予定のコースに従い、松本定は変更コースに従つて、それぞれ下山した。

この錬成山行途中において、前記共謀のもとに、被告人等を含む前記上級生部員は、錬成の為のシゴキなりとして新人部員に暴行を加えたが、

第一新人部員和田昇(当一八年)に対して、

一  被告人石塚は同月一七日午前七時頃、第一回休憩地から将監峠に至る山道において、隊列よりやや遅れて歩いていた和田に追い付きざま、同人の頭部を長さ約三〇センチ太さ親指大の木棒で殴打し、

二  前記三浦は、同日午前七時過頃将監峠にかかる手前付近山道において、先行する新人との間隔をあけて歩いていた和田の臀部付近を長さ約五〇センチ太さ経約二センチの木棒で二、三回殴打し、

三  同日午後一時過頃、北天のタル出発直後から五〇〇メートル位先の地点に至る山道間において、被告人森は出発後五分位進んだ所で、目をつむつて尻餅をついていた和田の顔面を平手で殴打して横倒しとし、被告人石塚は、右同所で目をつぶり横に倒れていた和田を追い越す際、「何をやつている」と言いながら、同人の顔面を登山靴(昭和四〇年押第一一九〇号の19)で踏みつけ、被告人寺岡は、右石塚の行為の後やや進んだ所で再び倒れてザツクを枕に寝ころび「目が見えない」と言つている和田にポリタンの水をかけ同人を立たせ、その顔面を平手で一、二回殴打し、次いで、被告人森も「目をつむれ、歯をくいしばれ」と言いながら同人の顔面を平手で二回殴打し、前記甲佐は、右森の殴打地点から約八〇メートル位進んだ所で膝から崩れるように座り込んだ和田の臀部付近を登山靴で二回足蹴りし、

四  同日午後二時過頃、三条ダルミテント場手前の所で、被告人寺岡は、急にばつたりと倒れた和田の顔面を平手で一、二回殴打し、被告人森は、空身で歩き始めた和田に改めてザツクを背負わせたが立上らぬので同人の顔面を平手で殴打し、崩れるように倒れた同人に「四つん這いになつてもいいから自分で歩け」と叱咤し、倒れた同人を他の上級生が起すと更に同人の顔面を平手で殴打し又崩れるように倒れた同人の顔面を登山靴(前同号の23)で踏みつけ、

五  同日午後二時過頃三条ダルミテント場において、二年生部員は、手足を抱えて運んで来た和田を立たせて、「元気あるか」と気合をかけたが、和田が「オス」と何回も答えたので、被告人石塚は「何だ声が出るではないか、やれやれ」と指示し、これに応じて被告人森は同人の顔面を平手で殴打して崩れるように倒れさせ、他の上級生が立たせた同人の顔面を更に殴打し、次いで被告人寺岡は、右殴打によつて倒れそうになり、上級生に支えられて辛うじて立つている同人の顔面をふざけるなといいざま平手で殴打し、

六  前記伊藤は、その頃、前同所において、整理体操のあと放心したようにザツクに寄りかかつていた和田の顔面を「遅れやがつて」と言いながら平手で殴打し、

七  被告人藤岡は、その後、前同所付近において、薪集めの途中疲労のため寝転んでいた和田の臀部付近を登山靴(前回号の1)で二、三回蹴り更に同人を立たせて顔面を平手で殴打して突き倒し、

八  前記平島は、同月一八日午前六時過頃三条ダルミから雲取山頂に至る山道中腹において、前を行く新人との間隔をあけて歩いていた和田に「前の奴に追い付け、しつかり歩け」と言いながら、同人の臀部付近を長さ約五〇センチ太さ径約二・五センチの木棒で、七、八回殴打し、

九  前記伊藤は、同日午前七時頃、雲取山頂から奥多摩小屋に至る下り山道において、小走りで歩いている和田の顔面を手拳で殴打し、

一〇  前記戸井田は、前同日時頃、前同所付近において、膝から崩れるように倒れて両手をついていた和田の臀部付近を「立て馬鹿野郎」と言いながら登山靴で二回足蹴りし、暫く進んだ所で同人が倒れたのでその顔面を平手で、一、二回殴打し、

一一  前記鹿又は、同日午前七時過頃、奥多摩小屋から鴨沢分岐点に至る山道において、遅れて歩いていた和田に追い付きざま、同人の臀部付近を長さ約三〇センチに束ねたザツク用細引紐で、一、二回殴打し、

一二  前記甲佐は、同日午後七時過頃第二回休憩点の鴨沢分岐点に入る下り道において、「駆けろ」と言つて和田を走らせ、途中一寸立止つた同人の背後から突き倒し、

一三  被告人寺岡は、その頃鴨沢分岐点において、遅れて到着し疲労のあまりふらふらして鼻汁を出していた和田の、鼻汁をふき、立たせたまま「歯をくいしばれ、歩く気あるのか」と言いながら同人の顔面を平手で一、二回殴打し、

一四  被告人古屋は同日午前八時頃から同九時三〇分頃までの間に、鴨沢分岐点から七ツ石山頂に至る山道間において、崩れるように伏せて倒れた和田の臀部付近を登山靴(前同号の25)で二、三回足蹴りし、やや行つて再度和田が倒れた際、「立つて歩け」と言いながら同人の臀部付近を登山靴(前出)で数回足蹴りし、

一五  前同日時頃、第三回休憩地手前の山道において、被告人古屋は、谷側へ五メートル位滑り落ちた和田を山道に引きあげる為に下りて行き「頑張る気はあるか」「こんなに根性のない奴は初めてだ」と言いながら、同人の顔面を平手で数回殴打し更に臀部付近を長さ約三〇センチ太さ径二センチ位の木棒(前同号の29類似のもの)で四、五回殴打し、前記甲佐は、山道に引きあげられた和田が、足を前に伸して座り込み、立ちあがろうとしないので、「立て」と言つて同人の顔面を平手で数回殴打し、これを見た被告人古屋はもつとやれと声をかけたので甲佐は更に顔面を平手で数回殴打し、次いで前記大塚は、「元気を出せ」と言いながら、和田の臀部付近を長さ約五〇センチ太さ径二センチ位の木棒(前同号の29類似のもの)で三、四回殴打し、

一六  同日午前一〇時頃から正午頃までの間に、第三回休憩地から一七二二メートルのピークに至る山道間において、被告人古屋は第三回休憩地点を出発後間もなく倒れた和田の臀部付近を長さ約一メートル太さ径二センチ位の木棒で、四、五回殴打し、更に二、三十メートル進んだ所で倒れた和田の臀部付近を長さ約一メートル太さ径三センチ位の木棒(前同号の28のハ類似のもの)で、四、五回殴打し、同人が尻をかばおうとして後ろに手をまわすと、その手を押えて大塚に更に数回殴打させ、その後も暫く歩んでは倒れることが、四、五回あつたがその内二回位大塚と交互に和田の臀郎付近を右木棒で数回ずつ殴打し、

一七  前記甲佐は、同日午前一〇時三〇分過頃、一七二二メートルのピークから鷹ノ巣小屋に至る山道において、手をついて躄り歩いている和田に「立て」と言いながら同人の臀部付近を登山靴で一回足蹴りし、

一八  被告人薄倉は、同日午後一時頃、鷹ノ巣小屋から第五回休憩地に至る山道において、座り込んだ和田の頭部を手拳で二回殴打し、

一九  前記甲佐は、同日午後三時過頃、第五回休憩地から奥部落浅間神社に至る山道において、躄り歩いている和田の両足を持つて約五、六〇センチ前方に引き摺り、

二〇  同日午後四時三〇分頃、浅間神社から三沢橋に至る山道において、疲れ果てて座り込んだ和田の臀部付近を、前記甲佐は登山靴で足蹴りし、更に暫くして歩行を止めた和田の臀部付近を前記甲佐、田口はこもごも登山靴で数回足蹴りし、

二一  前記甲佐は、同日午後五時頃、前同山道の下り坂において、和田が近道をしようとして細い脇道に入り途中で足を投げ出して倒れたので、その前方から同人の両足をもつて、本道まで五〇センチ位を引き摺り、

などの暴行を加え、腰臀部、大腿部付近を中心とした全身打撲の傷害を負わせ、よつて同人をして、同月二二日午前三時四〇分頃、東京都練馬区旭ケ丘二丁目四一番地東京練馬病院において、右全身打撲に基く外傷性二次性シヨツクにより死亡するに至らしめ、

第二新人部員木村弘(当一九年)に対して、

一  前記鹿又は、同月一六日午前一〇時頃、薮沢峠手前付近山道において、遅れて歩いていた木村に「蹴られたくなかつたら、さつさと歩け」と言いながら、同人の臀部付近を登山靴で足蹴りし、

二  被告人藤岡は、同月一八日午前八時頃鴨沢分峠点手前から、同分岐点を経て七ツ石山に向う山道間において、遅れて歩いていた木村に「早く追い付け」と言いながら、同人の臀部付近を長さ約一メートル五〇センチ太さ径三センチ位の木棒(前同号の26のイ類似のもの)で数回殴打し、その際尻をかばおうとして後に廻した右手首に当らせ、

三  前記伊藤は、同日午前九時頃鷹ノ巣小屋から鷹ノ巣山頂に至る山道において、先行する新人との間隔をあけて歩いていた木村に「蹴られたくなかつたら走れ」と言いながら同人の臀部付近を登山靴で二回足蹴りし、

四  前記瀬川は、同日午前一〇時過頃、鷹ノ巣山頂から六ツ石山に向う山道において、先行する新人との間隔をあけて歩いていた木村に「甘つたれるんじやない」と言いながら同人の顔面を長さ約四〇センチ太さ径四センチの棒状にしたザツク用細引き紐で殴打し、

よつて同人に対し全治約六週間を要した右尺骨茎状突起骨折、尾骨部打撲の傷害を負わせ

第三新人部員松本定(当一八年)に対して

一  被告人渡辺は、同月一七日午前一一時頃、第三回休憩地から大洞山に至る山道において、ふらふらになつて倒れている松本を起してザツクを外させポリタンの水をかけた後「こんな所でへこたれてどうするのだ」と言いながら同人の顔面を平手で二、三回殴打し、

二  前記戸井田は、同日午後一時三〇分頃、北天のタルから三条ダルミに至る山道の切通において山側に寄りかかつていた松本が「休ませて下さい」と言うのも聞かずに「起きろ」と言いながら、同人の顔面を平手で数回殴打し、更に長さ五〇センチ太さ径約三センチの木棒で頭部や臀部付近を数回殴打し、

三  被告人石塚は、その頃、前同所付近において、右戸井田の暴行により、その場に仰向けに転倒した松本の胸部付近を登山靴(昭和四〇年押第一一九〇号の19)で踏みつけ、

四  被告人藤岡は、同月一八日午前八時頃、鴨沢分岐点から七ツ石山頂に至る山道において、松本に、前を行く新人を追い抜いて先へ付くよう「先へ急げ」と言いながら、同人の臀部付近を長さ約一メートル太さ径四センチ位の木棒(前同号の26のロ類似のもの)で殴打し、

五  氏名不詳の上級生部員は、前同日時ごろ、前同所付近において「急げ」と言いながら松本の臀部付近を登山靴で足蹴りし、

よつて、同人に対して、全治約二週間を要した尾てい骨部打撲の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(公訴事実についての判断)

一  共謀について

本件の共謀は、判示認定のとおりであるから、従来の慣行を容認せず、現実に新人に対して手を加えず、かつ、他の上級生部員の行為をも認容しなかつた場合には、たとえ明言を以つて反対の意思を表明しなくとも共謀者の列に加わらなかつたものと認むべきである。証人太田昌夫の当公判廷における供述によれば、同人は本件錬成山行に参加した二年生部員であるが、自分が過去一年間の部生活において見聞した同部の新人錬成についての「慣行」に批判的立場をとり、本件山行直前に、二年生部員数名が集つてワンダーフオーゲル部のあり方について話し合つた際も、同部の錬成方法につき終始否定的立場を固持していたこと、又現実に本件山行中新人部員に対して激励こそすれ、その身体に手をかけなかつたこと、他の上級生部員がなした新人部員の身体に対する「シゴキ」行為を認容していなかつたことが認められる。従つて、同人は被告人等と共謀しなかつたものと認むべきである。

二  具体的事実について

(一)  公訴事実第一の三は弁護人の主張に対する判断二、(二)1の如く違法性を阻却するものと認める。

(二)  公訴事実第一の一〇は「被告人石塚、同渡辺、同森、同寺岡、三年生部員伊藤は、三条ダルミテント場内において、同所に手足を抱えられて運び込まれた和田を立たせて、こもごも同人の顔面を平手で殴打した」とされている。このうち被告人寺岡、同森、三年生部員伊藤の各行為は判示第一の(五)(六)のとおりであるが、被告人石塚自らは判示認定の如き指示はしたものの直接和田に対して手を加えたとの証拠は何ら存しない。証人中山興輔は「和田が三、四人の上級生に囲まれていて、そのうちの一人である被告人渡辺から、顔面を平手で一回殴打されていた」と供述したが、被告人渡辺、同森、同寺岡、証人鹿又広亮(第二三回公判)の各供述によれば、テント場に運び込まれた和田に二年生部員が「元気あるか」と気合をかけ、同人に「オス」と返答させていたところ被告人石塚が「なんだ元気あるじやないか、気合を入れろ」と言つたために被告人森、同寺岡が殴打したが、脇に居た被告人渡辺が「もうそれでよいから体操をさせろ」と指示をしたので鹿又は体操をさせる為に和田を連れてその場を離れたことが認められるから、中山証人の供述は誤認によるものというべきであり、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(三)  公訴事実第一の一九は「被告人寺岡において一八日午後五時頃、奥部落内路上において、和田の膝部を登山靴で足蹴りした」とされている。証人平島正は「タクシーの所へ呼び戻された和田は、タクシーの側で正座するように頭をさげて座り込み、それに対して、被告人寺岡が「立て、馬鹿野郎」と言いながら同人の膝の辺を登山靴でつつくようにした」旨供述し、証人坂村重男は、「座り込んでいる和田に対して、二人の上級生が同人の尻を蹴つた」と供述しているが、蹴つた部位、行為者の人数などにおいて、両証人間において一致しない点があるばかりでなく、証人伊藤政昭(第二三回公判)並に被告人寺岡は「和田がタクシーに近づいた時には、すでに被告人寺岡はタクシーの助手席に座つて窓越しに被告人渡辺と話していた」旨供述するので、平島証人の誤認によるものかとも解されるので右証言はにわかには信じ難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(四)  公訴事実第一の二二は「被告人藤岡において、一八日、鴨沢分岐点付近において、和田の頭部を木棒で一回殴打した」とされている。証人鵜飼宏昌はこれにそう供述をしたが、証人田口公平は「自分を始め、数名の二年生部員が和田と共に鴨沢分岐点の手前から同所に到着し、一列に並んでいる一行の中程まで和田を連れて来たがその間、和田に対して手を出した者は誰もいなかつた」旨供述(第二三回公判)し、被告人寺岡もこれを否定しているので、証人鵜飼宏昌の供述のみを以ては、いまだこれを認めることはできない。

然るところ(一)乃至(四)の点は判示第一の和田に対する傷害致死罪の原因たる暴行の一部として起訴されているから右の点について、主文において無罪の言渡はしない。

三  罪数について

本件起訴状ならびに訴因の追加変更請求書においては、各被害者に対して数個の行為が個別化され記載されているが、これらの各行為は、そもそも一つの錬成山行中にその錬成方法の一部として行われ、かつ、上級生部員の錬成開始前の共謀のもとに行われたものであるから、法律的には、各被害者に対する行為は山行開始後より終了まで各被害者ごとに全体として、一個の暴行行為と評価さるべきものであり、各行為ごとに一個独立の暴行罪として審判の対象となつているのではない。それが、細かく特定された意味は個々の攻撃行為の行為主体、方法、程度などをできるだけ詳細にして、当事者双方の攻撃防禦を完全ならしめる為であり、それ以上の意味を持つものではない。従つて、一個の暴行のうちの個々の攻撃行為の中には、それを独立に切り離して見れば、被害者等に対する傷害や致死の結果と因果関係がないものもあるが、一連の行為が包摂して評価される以上、直接原因となつていない行為につき無罪の言渡をする筋合ではないと解する。

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、本件錬成山行において、被告人らはいずれも従来からの同部の「慣行」に従つて妥当なる錬成行動をなしてきたものであるが、各上級生部員の新人に対する個々の錬成行為は、当該上級生部員の体得に基く独自の判断基準によるものであつて、予め他の上級生部員と話合つたものでないから、被告人等の間に「特定の犯罪を共同して実行する意思」が存在するわけがない。現に山行中においても、例えば、三条ダルミのテント場において、被告人森、同寺岡の殴打の後被告人渡辺が「もうそれでよい」と制止し、鷹ノ巣小屋から奥部落への下りにおいて被告人薄倉は和田を二年生部員に任せる際「何もしなくともよいから連れて来い」と指示しているのであつて、各被告人等が、本件山行中の他の上級生部員の錬成行為をすべて容認していたものでもないから、共犯の成立は否定さるべきであると主張する。

依つて按ずるに、共同正犯の成立につき大審院刑事総部聯合判決は「凡ソ共同正犯ノ本質ハ二人以上ノ者一心同体ノ如ク互ニ相倚リ相援ケテ各自ノ犯意ヲ共同的ニ実現シ以テ特定ノ犯罪ヲ実行スルニ在リ共同者カ皆既成ノ事実ニ対シ全責任ヲ負担セサルヘカラサル理由茲ニ存ス若シ夫レ其ノ共同実現ノ手段ニ至リテハ必スシモ一律ニ非ス或ハ倶ニ手ヲ下シテ犯意ヲ遂行スルコトアリ或ハ又共ニ謀議ヲ凝シタル上其ノ一部ノ者ニ於テ之カ遂行ノ衝ニ当ルコトアリ其ノ態様同シカラスト雖二者均シク協心協力ノ作用タルニ於テ其ノ価値異ナルトコロナシ従テ其ノ孰レノ場合ニ於テモ共同正犯ノ関係ヲ認ムヘキヲ以テ原則ナリトス」(集一五巻七三三頁)と判示し、最高裁判所大法廷もこれを踏襲し「共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実が認められなければならない。したがつて右のような関係において共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与しない者でも、他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行つたという意味において、その間刑責の成立に差異を生ずると解すべき理由はない」(集一二巻一七二二頁)と説示した。これを本件について検討するに、証人浜中克彦、山崎徳男、鈴木武正、伊能淑郎、瀬川定興、戸井田政行、伊藤政昭、鹿又広亮、大塚美登、三浦猛夫、甲佐常雄、田口公平、平島正の当公判廷における各供述、右戸井田、瀬川、田口、大塚の各検察官に対する供述調書、被告人等の当公判廷に於ける各供述並に被告人森の検察官に対する供述調書(40・6・9付三項)同寺岡の同上調書(40・6・3付第四、七項)同薄倉英行の同上調書(40.6・11付第一、二、三項)同藤岡徹の同上調書(40・5・28付第二項40・6・7付)によれば、農大ワンダーフオーゲル部発足当初の新人錬成は同好会的雰囲気の下で緩やかになされていたが、年々その厳しさを加え、昭和三六年頃からは殴る蹴る等の暴行をも錬成方法として採るようになりこれが部の伝統とも云うべきものとなつていたこと、部に於いては先輩後輩の別が厳として存し先輩の残したものの変改は至難であつたこと、山行中の錬成方法としての暴行は二年生部員が主として当つており、他の上級生はその実行について二年生を督励していたこと、本件山行前五月一〇日の運営委員会に於いて出席した被告人渡辺、森、寺岡、薄倉、藤岡は新人の錬成方法に言及して意見を交換し従来通りの方法で山行中の錬成をなすが頭を殴打することは避け度いと各人の意思を確認し合つたこと、同月一三日の部会終了後と同月一五日の出発前に二年生以上の参加部員に山行中の錬成方法は従来通りであつて二年生部員が主としてこれに当るべきことを徹底させ各人これを了承したこと、被告人石塚は山行中の新人錬成方法が従来通りであり新人に対し殴る蹴るの暴行を加えるであろうことを知つて激励助言の為監督として山行に参加したことが認められる。従つて、被告人等並に二年生部員は誰が新人部員についたとしても部の伝統に従い監督上級生部員総員の意向として新人に対し錬成方法として殴る蹴るの暴行を加えるべき責務を負い各人はその責務を果すべく意思を通じたものであるところ、共謀の成立には行為の違法性の意識を要しないから、各殴る蹴ることが刑法所定の暴行に該当すれば暴行罪の共謀をなしたものと解すべく、その暴行行為を実行しなかつた者も共同正犯としての罪責を免れぬのである。右殴る蹴るの暴行は錬成方法としてなされるものであつて、具体的には各人の体得したところに基きその判断基準に従つてなすことは弁護人指摘の通りであるが、前掲証拠によれば、右暴行は新人が他の新人より遅れたりなどその気力が減弱していると認めた時で、暴行を加えてもその効果のあるとき(即ち全くバテた場合ではない時)に為すという一般的な基準は存するのであつて、如何なる場合に如何なる暴行をなすか判らぬという事態ではないのである。而して実行行為の細部に亘つて謀議が遂げられず行為者に裁量の余地の存することは集団犯罪一般に共通したことで、共謀共同正犯の本質とも云うべく、本件に於いて、暴行行為をなす方法、程度について、当該上級生の判断に委ねられていることをとらえて共謀の成立を否定することは出来ないのである。この様に共謀が成立していたことは、本件山行中上級生全員が強弱の差こそあれ等しい形態状況で殆んどの新人に対して暴行を加えたこと、或上級生の暴行について他の上級生が殆んど異議を述べなかつたこと、被告人渡辺等学生部員は被告人石塚を監督として上位におきその意に添うように振舞い、同人もそのように行動し自らも暴行を加え上級生等に指示したこと、被告人等が和田等新人に加えた本件暴行は従来行われて来たそれと同程度のものであると供述していることによつても証されることである。

二  弁護人は、本件錬成山行中、上級生部員が新人に有形力を加えるのは、団体山岳行動に耐えうる体力気力と山岳生活の能力を養成する為であるが、山岳行動は生命の危険度の高いスポーツであり、団体行動の場合には一人の力の低下は全体の力の低下を招くから、訓練は厳しくならざるを得ないが、農大に於いては体育部に属している為特に厳しくなるのである。本件に於いてもそのような新人錬成という目的のために有形力を加えたものであり、新人の気力回復あるいは危険防止のためにも必要なことで、その手段、方法に於いて許容し得る相当な範囲内の行為である。従つて、たとえ外形上暴行罪の構成要件に該当する行為であつても、それは刑法第三五条により違法性が阻却されるものであると主張する。

依つて按ずるに、ワンダーフオーゲル運動もそれが大学のクラブ活動の一環として採り上げられれば、単なる親睦団体の活動とはその趣を異にし、一個の組織としての活動に主眼が置かれ、それが山岳行動を中心に行われている我国の現状では、山岳行動に耐えるだけの実力が要求されるので、新人の実力養成のため各種の錬成を行う必要が生じ、錬成に際しては、その目的を達成する為に、ある程度の精神的、肉体的な若痛を伴う方法が採られることは蓋し当然のことであろう。然し乍ら、被告人等の供述によれば、山岳行動即ち合宿山行と錬成山行とはその性質を異にし、錬成山行は合宿山行の準備段階であつて、錬成山行に於けるが如き殴る蹴るというシゴキは合宿山行に於いては殆んど行われないことが認められる。従つて、錬成山行に於いては、団体行動に於ける危険を避ける為というのではなく、新人に体力気力を極限まで出させ、そこに自信と技能を得させようとするものであることは被告人古屋が供述する通りである。然るところ、大学のワンダーフオーゲル部は大学教育の一環としてのクラブ活動であるから錬成においては人間形成を第一義に考えてなさるべく、憲法一三条が「すべて国民は、個人として尊重される」と宣言し、教育基本法が「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」とし更に教育の目的は「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定めていることを銘記すべく、体力、気力の養成に逸るのあまり、聊かも人間性を軽視するが如きことがあつてはならない。従つて、体力、気力を養成する為なりとして、登山靴で身体を踏みつけ或は蹴ることや木棒や紐で身体を殴打することは人格蔑視も甚しく、平手、拳で身体を殴打することも許さるべきでなく、僅かに睡気をさます為に新人の承諾を得て平手で顔を叩くなど緊急にして必要な例外の場合が許されるのみである。被告人等は、殴る蹴るの錬成行為は、体力、気力の養成に不可欠であると力説するのであるが、かかる行為により錬成されるものは人間性を喪失した強き肉体と偏狭な気力のみというべく、さればこそ、教育の場に於いての体罰は即効的であつても堅く禁じられているのである。証人宮野敏之、中野忠、渡辺恵、別役仁士、鈴木善次郎は等しく、新人訓練の際に身体に手をかけることの不可なる所以を説き、愛情をもつて、自ら範を示して指導すべく、短兵急な訓練を愚と訴え、頭脳的な指導が必要であると証言しているのであるが、同証人等は学生ワンダーフオーゲル部員、監督等の経験者であることに徴すれば誠に価値高い意見といわねばならぬ。而してこのことはワンダーフオーゲル部が体育部に属するか文化部に属するかによつて本質的差異を生ずるものではない。

このような一般的規準のもとに、本件審理において認定し得た被告人等の和田昇、木村弘、松本定の身体に対する暴行行為につき、逐次判断を加えることとする。

(一)  目的の正当性について

本件山行中和田他二名の身体に加えた有形力の行使につき、被告人並上級生等は同人等の気力、体力の錬成のためなしたと供述し、これに反し、私憤等錬成外の意図の下になしたと認むべき証拠はないから、すべて錬成目的の為になしたと認むべきである。

(二)  行為の必要性、相当性について

1 公訴事実第一の三

証人平島正並に被告人薄倉英行の当公判廷における供述によれば、「五月一七日、北天のタル付近休憩地において、ザツクの上に座つていた和田が、眠むそうな顔をして、自分で顔を叩いていたが傍の平島に眠いから叩いてくれと言つたので平島は薄倉の許可を得て、和田の顔面を平手で四、五回叩いた」ことが認められる。即ち、和田は自ら顔を叩いていたが眠気が去らぬ為平島に眠気さましの行為を頼み、平島は薄倉に状況判断をして貰い和田の顔面を平手で叩いたものであつて、和田の承諾の下に為された相当な行為であり、その違法性は阻去さるべきものである。

2 判示第一の三(公訴事実第一の四、六)

前掲証拠によれば、和田が「眠いのです殴つて下さい」と言つたことが認められるが、和田は北天のタル付近の休憩地に於いて、すでに疲労して眠そうな様子をしており、出発に際しては自己のザツクと他人のザツクの区別がつかずまごつくような有様で、同休憩地出発後五分位で早くも倒れ始めたことが認められる。従つてすでにかなり疲労が激しかつたと認められ、このことは、被告人森、同寺岡も充分知つていたところである。このような状態下での「殴つて下さい」という言葉は真意とは解し難いが、仮に真意であつたとしても、新人錬成山行は、あくまでも訓練行動であつて、たえず、ぎりぎりの行動が要求される山岳行動とは、その趣を異にするのであるから、激励する等他にとるべき方法が考えられるに拘らず、何のためらいもなく、被告人寺岡、同森が時を接して殴打したことは、悲愴感すら感ぜられるところであつて、決して正当化されるものではない。

3 判示第一の四(公訴事実第一の八、九)

この場合も、和田が「殴つて下さい」と云つたことは認められるが、その言葉は1、2の場合と考え合わせれば上級生の叱咤激励に対して無意識のうちに反射的に出た言葉と考えられるし、たとえ、それが真意に出たとしても、2で述べた理由が本行為についても、そのまま妥当するものであつて違法性は阻却されない。

4 判示第三の一

この行為は、前掲証拠によれば、疲れてふらふらになつた松本に、数人の上級生が殴る蹴るの暴行を加えて通り過ぎた後、被告人渡辺が通りかかつて行つたもので、このような状況を考慮し、又、この殴打によつて鼻血が出た事実を合わせ考えると、やはり著しく相当性を越えた行為であると言わざるを得ない。

以上を要するに、公訴事実第一の三の平島の行為は、相当行為として刑法第三五条によりその違法性が阻却されるが、右(2) (3) (4) の行為は右説示の如く違法性を阻却さるべきでなく、その余の点は(2) (3) (4) の行為以上に暴行性が強くいづれも違法性を阻却する事由は認められないのである。

三  弁護人は、被告人等は、新人のときに厳しい錬成を受けた為に強い部員に成長し得たと思い、又これまで錬成による事故は起きず、新人等から苦情が出たこともなく、他大学の部誌等により同様の錬成方法がとられていることを知つて、同部で慣行としてとられている錬成方法を適切、妥当なものと信じて今回の錬成を行つたもので、その違法性の意識を欠き、その意識を欠くに至つたことには相当の理由があり、被告人等に、本件行為についての責任はない。又、錬成山行の厳しいことは新人部員も承知しており、これに参加する者は本件の如き錬成行為を受けることを覚悟し承諾しているものであり、仮に承諾していないとしても、被告人等において、新人が承諾しているものと信じたことには相当の理由があるから、これ又責任が阻却されるものであると主張する。

確かに、本件錬成山行に参加した被告人等並に他の上級生部員は、自分等が新人部員に加えた殴る蹴る等の暴行は一般社会生活に於いては許されないが、山行中錬成として為す場合には許されるものと思いその違法性の意識は、ほとんどなかつたものの如くである。しかし乍ら通常の社会常識を備え、かつ最高学府に学ぶ者としてはたとえ部の伝統であり、その実効があつたとしても、一般社会生活上非難さるべき行為を安易に肯定したことは軽卒の誹りを免れないところであつて、世上にかかる暴挙を容認する言説があつとしても径庭はないのみならず、本件錬成山行に参加した太田昌夫が同部の錬成方法に批判的立場をとり山行中も自らの意思を通したことに想を到せば、被告人等が暴行行為の違法性の意識を欠いたことについて、相当の理由があるとは到底認め得ず、その過失たるや重大である。更に新人部員を勧誘するに際して錬成についての説明をなしていないのであるが、新人部員等は錬成山行が可成り厳しいものであることを了知して参加したことは証人たる新人部員の供述により認められるも、本件の如く殴る蹴るという苛酷な錬成が加えられることを了知容認していたことは認め難く、却つて被告人薄倉は五月一〇日の運営委員会に於いてシゴキの為怪我でもすれば警察に訴える新人がいるかも知れぬと警告し、新人証人中山興輔はシゴキの苦しさの為大洞山付近に於いて上級生に手留弾を投げたいなどと憤懣をもらして居り、被告人等の供述によれば、同人等が新人部員として錬成山行に参加したときはいずれも本件におけるが如きシゴキを受けたが、予期に反した凄まじさに、なぜこんなに苦しまねばならないのかと煩悶していたことも認められるのであつて、被告人等の新人は承諾していたと信じた旨の供述は信じ難く、その他これを認むべき証拠は存しないのである。

四  弁護人は、本件山行中、特に鷹ノ巣避難小屋から奥部落に至るまでの、本件山行中の各行為において、何人も本件山行当時の現状に於ける上級生部員として、本件と同一状況に遭遇した場合本件各行為以外に他の行動を採ることを期待することは出来ないと主張するが、これは和田昇に対する暴行に関することと思われるのでこの点について考察する。

被告人藤岡の供述によれば、新人に対しては第一日目はほぼ同量の団体装備を携行させたが、第二日目は第一日目の行動成績を参酌し、強い者には増量し、弱い者には減量し、第三日目もその様にしたというのであるが、和田については第三日目は相当疲労していたのにも拘らず然程の減量をなさず又新人伊藤が重態を呈するや多くの上級生はこれに集中し乍ら和田の疲労には意を留めなかつたことは被告人等上級生の不注意というの外はない。証人和田多嘉子の証言によれば、和田昇の家はあげてクリスチヤンであり、昇も昭和三五年七月洗礼を受けた熱心な信者で他人を傷つけるような行動はせず、嘘を云うこともなかつたことが認められる。同人は行動中常に全力を尽し、疲労して行動力が著しく減弱した場合にも上級生のシゴキによつて反射的に行動を起していた為暫くにして以前の状態となつたと思われるが、それを故らな偽装行為と見たということは同人の信者としての生活信条を知らぬ為とはいえ、浅慮というの外はなく、力にのみ頼る錬成の結果被告人らは愛情に欠くるところはなかつたろうかと疑われるところである。右証人は和田の奥部落での行動を意識の減弱した動物的状態ではなかつたかと思われると証言しているが、被告人古屋、証人大塚は一七二二メートルの峯の辺即ち鷹の巣避難小屋の手前では和田は本当にバテていると思つたと供述しているのであつて、被告人等上級生部員が、今一歩注意すれば和田の状態を正しく把握し得て適切な措置が講じられた筈である。被告人薄倉は遅れた新人の一隊を早く下山させる為には和田に暴力を加えてでも歩行させる外はなかつたと供述するが、証人中野忠、渡辺恵、鈴木善次郎が指摘する如く、暴力を加えることによつて体力を消耗することは当然のことであり、早く下山させる為には暴力を加えず携行荷物を減ずるなど愛情ある適切な措置が望まれ、本件に於いてもそれはなし得た筈である。然るにその様な措置をとらなかつたのは和田の体力気力の極限を見ることに目を奪われたもので、新人を一挙に実力ある部員となさんとする性急な錬成計画と相俟つて本件の不祥事を惹起したと見る外はない。従つて、期待可能性を論ずる余地は全く存しないのである。

五  弁護人は、和田昇に対する本件暴行行為と同人の死との間には因果関係の存在は疑わしく、致死の結果について、被告人等に責任はない。即ち和田は、本件錬成山行に参加する前から風邪気味であり、それが山行の疲労と重なつて山行途中、あるいは後に、肺水腫、肺炎を起し、これが死因となつた可能性が強く、又、たとえ死因が外傷性シヨツクによるものであつたとしても、五月一八日午後和田が帰宅後、秋山医師の第一回診断を受けた当時は、外傷性一次性シヨツクであつたか又は二次性シヨツクであつても可逆性のものであつた疑いが濃く、同医師が同日から同月二一日早朝までの間に於いて(イ)初診直後に専門の病院に入院させて適切な治療を怠つたこと、(ロ)二次性シヨツクに不可欠の輸血を一回もしなかつたこと、(ハ)循環機能障害除去のための利尿剤注射、血圧上昇剤注射又は人工腎臓等の手当を怠つたこと、(ニ)カリウムを含むリンゲル注射をしたこと、(ホ)肺水腫、肺炎の発生を見逃してその手当を怠つたことなどの診断及び治療上の処置の誤りによつて不可逆性二次性シヨツクになつたものであり、この誤りがなければ、経験則上むしろ死に至らないことが通常であるから致死の主因は、むしろ医師の過失にあり、被告人らの各行為との因果関係は、否定さるべきものであると主張する。

依つて按ずるに、証人佐瀬悌弘の供述によれば、和田昇が、山行前から風邪気味であつたらしいことが窮われ、又山行によつて、疲労したということも肯かれるところである。そしてたしかに、上野正吉外一名作成の鑑定書には「本屍の左右両肺の各葉は高度の肺水腫があり、顕微鏡的には白血球の侵潤もあり、一部では繊維素の折出も見られ、出血を併い肺炎の初期像を示している。これらの変化は極めて重大な死因となり得る変化である。」と記載されている。然し乍ら、同鑑定書並証人上野正吉の証言によれば、一般論として、肺水腫、肺炎そのものは種々の原因から起り得るものであるが、本屍においては、一方に腎臓に下位細尿管ネフローゼの所見があり、解剖当時、現在の医学知識では内科的治療が絶対不可能なくらいに変化して循環機能障害を起している。そして、この循環機能障害が生じた原因を考えてみれば、単なる過度の筋肉運動による疲労からは、このような重症の循環機能障害が起るということはまず考えられず、本屍においてその原因をたどつて行けば、ほとんど全身に見られる皮下筋肉組織に及ぶ広汎高度の外力による挫滅の結果による循環機能障害(いわゆる外傷性二次性シヨツク)をおいては考えられないのである。肺臓も腎臓と同じく循環系であるから、腎臓における変化が右のようなものである以上、肺臓における変化つまりこの場合の肺水腫肺炎の初期像もやはり原因を同じくするもので、外傷性シヨツクから派生した一部分現像と考えるのが相当である。勿論疲労そのものが、肺水腫症状を起すことはあり得るが、本件においては専ら疲労のみによつて起つたものであると考える余地は全くなく何らかの影響があつたにしても、原因はあくまでも外傷性シヨツクによるものと言わねばならない。というのである。即ち、和田は一八日帰宅後第一回目の秋山医師の診断を受けた際、既に、二次性シヨツク状態にあつたものであるが、その二次性シヨツクは、原因である筋肉の挫滅を治癒しない限り症状は悪化する一方いわゆる不可逆性であり、内科的治療は不可能な状態にあつたことが認められる。従つて仮に同医師に過失があつたとしても被告人等の暴行と死との因果関係を否定し得ないことは我が国の一貫した判例に照し明らかである。

よつて弁護人の一乃至五の主張はいずれも採用出来ない。

(法令の適用)

被告人等の判示第一の所為は、刑法第二〇五条第一項、第六〇条に、判示第二、第三の所為は、いずれも、同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項に該当するが、判示第二、第三の傷害罪については、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪なので同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第一の罪の刑に、同法第一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲で処断すべきである。依つて、量刑につき審按するに、本件の遠因は先輩が形成した農大ワンダーフオゲル部の伝統的錬成方法であり、近因はこれを無批判に踏襲した被告人等の自主性の欠除である。大学は人間形成の府であるから、そこで行われることはすべて、人間形成につながらなければならないのであつて、聊かも人間性を軽視するが如き行動は許されない。従つて、体力を鍛錬し、精神力を涵養するにしても、ただ肉体、気力の錬磨であつてはならぬので、そこには個人の価値を尊ぶ自主的精神の育成がなければならぬ。殴る蹴るということは、一個の人格を否定する行為であり、その対象は物体に等しく、訓練される動物と選ぶところはない。このような事が大学体育部の名に於いて行われてよい筈はない。大学のクラブ活動には、考えること、批判することは不可欠のものであるが、農大ワンダーフオゲル部に於いては下級生は上級生の行うことに絶対服従し、現役学生は先輩の為したことに無批判的に従つて居るという実情であつて、かゝる風潮が、新人錬成の場に於いて殴る蹴るという方法を生みこれを伝統的な不変的錬成方法にまで育てたのである。学生証人は本件の事故がなければ今年も来年も同様な錬成方法が繰り返されたであろうと供述し、被告人等は新人、二年の時には体に手をかける錬成方法に疑を抱いたが三年になつてからはこれを肯定するようになつたといい、身体に手をかける錬成方法は絶対必要であると供述している。証人中野忠、渡部恵、鈴木善次郎が指摘した「考える愛のあるワンダーフオーゲル」への脱皮が切に望まれるところである。すべての訓練は段階的に行われるのが本則であり、一挙に高きを望むべきではない。本件では新人部員の運動歴、体力、健康状態を詳しく知ることなくして一率なる訓練を施し、結果が思わしくない場合には気力を欠くとして暴力を加えたのであるが、上級生部員は特定の新人に終始留意していないので、新人の状態の観察に一貫性が欠けており、又自らは軽いサブザツクを携行しているだけである為に新人の疲労を自らの皮膚より感ずるということがない。その為、訓練は観念的、恣意的に流れ易く、傍観している上級生にすら行過ぎだとか、正視出来ないとかいう感を抱かせたのである。弁護人は農大の特殊性を強調するが、大学は人間形成の府であつて、体力や気力を売りものとする闘技者を鍛錬する場ではないことに想を到せば、各大学の特殊性などは微々たる些事である。本件を悲惨なものとしたことには参加の自由はあつても離脱の自由がなかつたということである。新人は参加した限り如何なる事態となつても上級生に絶対服従して山行を終らねばならぬのである。本件被害者の内和田昇のそれは殊に悲惨である。自ら用具を整え喜々として家門を立ち出でた同人は、日ならずして全身打撲で形相も変り気息も絶え絶えに運び込まれ遂に不帰の客となつたのである。同人はクリスチヤンで、真面目な性格であつた為、第一日目から全力を出して行動し、第二日目に荷物を増加されたのに拘らず更に全力行動を続け、上級生にシゴカれゝば無理にも力をしぼつて行動した為却つて偽装疲労と見誤られて更にシゴキを重ねられ、第三日目に至つては全く思考力も減弱し「先輩こわい」と口走り「アーン」と泣声を挙げ、和田多嘉子証人の証言を借りれば動物的状態と思われる迄になつたのであるが、若し同人が疲労を偽装し得たならば上級生は色をなしてタンカで運び下したであろうし、真面目な性格は一変して横着な青年となつたことであろう。同人は帰宅後も上級生の暴行について多くを語つていないが、これは上級生の暴行が私怨などからでなく訓練の為であつたと思つていたこと、と信者としてすべての苦しみが神より与えられた試練であると観じた為であろうが、このことは愛の尊さを身を以つて示したもので、暗い本件でのたゞ一つの明るさである。

この様に考察して来れば、上級生部員が故らに傷害しようとの意思はなかつたとしても三名の被害者に傷害を加え和田昇を死に致したことの責任は免れず、被告人等はすべて指導的地位にあり、他の上級生部員の暴行について直接間接に影響しているのであつてその貨任は軽からず、わけても被告人渡辺は主将として部を統率し他の被告人等に指示すべき立場にあり乍らシゴキを厳しくさせるような指示をなし、被告人石塚は先輩、監督として現役学生に影響力をもつ指導的立場にあり乍ら暴力的シゴキを誘発するような言動をなしたもので、その責任は重いといわねばならぬ。然し乍ら被告人等の部に於ける立場は伝統という抗し難い壁の中でただ前進あるのみという状態におかれていたもので、反省の機会に恵まれていなかつたことが認められ、若し自由な明るい雰囲気であつたとすれば、良い家庭環境に育ち良い素質の被告人等であるから本件の様な不祥事は起さなかつたであろうと察せられる。而して被告人等は本件が捜査せられるに及び事の重大さに驚き、自分達の行動を深く反省し、父兄、先輩、大学当局と共に被害者その家族に対し慰藉の方法を講じその宥恕を得ているのである。証人和田嘉平は父としての悲しさを超え被告人等の行為を許したいと証言し被告人等の反省を認めているのである。叙上諸般の事情を考慮した上被告人石塚彬丸、同渡辺利治を各懲役三年に、被告人森茂、同寺岡広、同薄英行、同藤岡徹、同古屋隆雄を各懲役二年に処し、同法第二五条第一項により被告人等に対しいずれも本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条に則り証人坂村重男、鵜飼宏昌に支給した分を除きその余は被告人等に連帯して負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 津田正良 近藤浩武 森真樹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例